自意識と他者への醒めた視線が冴える、高校生のもどかしいもやもやを描いた作品です。タイトルも素晴らしい。
作者の綿矢りささんが19歳の時この作品(『文藝』平成15年/2003年秋季号<8月>掲載)で芥川賞を受賞し、最年少受賞と話題になりました。綿矢りささんの作品の中で今のところ一番好きです。まだ読んでない人がいたらぜひ読んでほしい1冊です。
作者の綿矢りささんは、当時、その若さに加えかわいいことで話題になりました。そんな若くてかわいい(とマスコミが騒いでいた)作家さんの書いた小説ですが、内容は今で言うところの”陰キャの初実”と”オタクのにな川”という学校生活になじめない二人のお話でおしゃれとかキラキラとはかけ離れています。かっこよくもすがすがしくもない青春です。それが私にはとてもリアルでした。
同調圧力とか無理に笑って合わせる友達関係などへの醒めた視線を持ちながら、クラスで浮いている自分の立場も強く意識している、その相反する気もちは痛いほど共感できます。
”推しへの思いが強すぎておかしな風になっちゃうにな川”をキモくもいじらしく描き、そのにな川に対しての”言葉にするのが難しいもどかしい感情”を、強い自意識で色々こじらせ気味な初実の言動を通して描いています。
”若者の屈託””世間や学校への違和””居場所のなさ””推しへの感情””自意識”そういったもどかしく、もやもやした思いが、もやもやのままにとてもよく描かれていて、結果、蹴りたくなる背中なんです。その、もの哀しく丸まった、無防備な背中は。(暴力の話ではありません!念のため)
綿矢りささんの小説の魅力は、怖いくらいの感受性とそれ故の人を見る目の深さかなと思います。人の言動の裏側を深読みしてまたそれが鋭すぎて辛い。自意識が強いけれど客観的に自分を見る目もある。そんな主人公の視点に、わかるわあと思いながらそこまで敏感にいろいろ気づいて考えてしまったら、そりゃ自意識も肥大するだろうし、こじらせるし、痛々しくもなるよな、と頷くしかないです。
書き出しを引用します。
『さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる』
理科の実験中であろう時間にプリントを千切って自分にだけ回ってこない顕微鏡の順番なんてまったく気にしてない風に、クラスで浮いていることも理科の実験の内容も興味なんてない風に、誰も自分のことなんて気にしていないであろうに、そのさびしさが鳴り響いてしまわないように必死で演技している初実の孤独とこじらせた自意識がひしひしと伝わってくる書き出しです。
芥川賞の審査員の当時72歳だった三浦哲郎さんは”この人の文章は書き出しから素直に頭に入ってこなかった。たとえば『葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。』という不可解な文章”と思ったそうですが、それは逆に言えば、新しい小説だったということだと思います。誰にでも理解出来るような、特にキャリアの長い方にひっかかりも与えないような小説は、多分純文学としては新しくないということになると思うのです。今までにない価値観とか、世界観とか、世の中の見方とか、小説としての描き方とか、何かしら新しいものがあるとハッとさせられる気がします。
これがもう20年以上も前に書かれたものだとは・・・綿矢りささんももうお母さんになっていて、時の流れを感じます。それでもこのときハッとさせられた感情は今読み返しても消えてはいません。
主人公はクラスに友達がいない初実という高校生だ。そんな彼女は同じクラスのアイドルおたく、にな川と話すようになり。。
クラスで浮く人は少なくないが、こんな対照的な人もいるのかと驚いた。にな川みたいなタイプの方が自分としては生きやすく見える。