今回、この本では親の経済力の大小や産まれ育った地域でできることとできないことが増えてくることになると知った。
しかし、子供は親を選ぶことはできない。
私自身、地方で産まれたためにやはり子供の頃から
限られた娯楽でしか楽しむことができなかった。
そのため、都会では当たり前の環境がとても羨ましくあった。
この前、あるJリーグの試合を観に行ったときに、隣が高校生が制服で観にきてた
それを観て都会では高校生でも気軽に行ける環境なんだと思って羨ましく思った
地方に住む人なら少しは共感できる人がいるかも
習い事や家族旅行は贅沢?
子どもたちから何が奪われているのか?
この社会で連鎖する「もうひとつの貧困」の実態とは?
日本初の全国調査が明かす「体験ゼロ」の衝撃!
【本書のおもな内容】
●低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」
●小4までは「学習」より「体験」
●体験は贅沢品か? 必需品か?
●「サッカーがしたい」「うちは無理だよね」
●なぜ体験をあきらめなければいけないのか
●人気の水泳と音楽で生じる格差
●近所のお祭りにすら格差がある
●障害児や外国ルーツを持つ家庭が直面する壁
●子どもは親の苦しみを想像する
●体験は想像力と選択肢の幅を広げる
「昨年の夏、あるシングルマザーの方から、こんなお話を聞いた。
息子が突然正座になって、泣きながら「サッカーがしたいです」と言ったんです。
それは、まだ小学生の一人息子が、幼いなりに自分の家庭の状況を理解し、ようやく口にできた願いだった。たった一人で悩んだ末、正座をして、涙を流しながら。私が本書で考えたい「体験格差」というテーマが、この場面に凝縮しているように思える。
(中略)
私たちが暮らす日本社会には、様々なスポーツや文化的な活動、休日の旅行や楽しいアクティビティなど、子どもの成長に大きな影響を与え得る多種多様な「体験」を、「したいと思えば自由にできる(させてもらえる)子どもたち」と、「したいと思ってもできない(させてもらえない)子どもたち」がいる。そこには明らかに大きな「格差」がある。
その格差は、直接的には「生まれ」に、特に親の経済的な状況に関係している。年齢を重ねるにつれ、大人に近づくにつれ、低所得家庭の子どもたちは、してみたいと思ったこと、やってみたいと思ったことを、そのまままっすぐには言えなくなっていく。
私たちは、数多くの子どもたちが直面してきたこうした「体験」の格差について、どれほど真剣に考えてきただろうか。「サッカーがしたいです」と声をしぼり出す子どもたちの姿を、どれくらい想像し、理解し、対策を考え、実行してきただろうか。」--「はじめに」より
今回、この本では親の経済力の大小や産まれ育った地域でできることとできないことが増えてくることになると知った。
しかし、子供は親を選ぶことはできない。
私自身、地方で産まれたためにやはり子供の頃から
限られた娯楽でしか楽しむことができなかった。
そのため、都会では当たり前の環境がとても羨ましくあった。
この前、あるJリーグの試合を観に行ったときに、隣が高校生が制服で観にきてた
それを観て都会では高校生でも気軽に行ける環境なんだと思って羨ましく思った
地方に住む人なら少しは共感できる人がいるかも