1989年6月に「日本経済新聞」へ掲載された、幼少期からの前半生を振り返る「私の履歴書」と、その内容に関連した過去のエッセイの再録で構成されています。
滑稽で軽妙な軽さと人の深い所まで見抜くような深さのバランスが良く、そのどちらにも人間がしっかり描かれていました。
友人の自殺や戦時中の話など、シリアスな内容で感じる悲哀は勿論のこと、滑稽な場面や厄介に見える行動からも、笑いとともに人間とは綺麗や真面目な面だけでは理解することはできないぞと言われているようでした。
著者は、勉強はできず、若い衝動をもて余し学校を抜け出しては怒られていました。数学の試験でなにも分からないので、全問に「そうである、まったくそうである。ぼくもそう思う」と書いたエピソードは、それでも白紙にはしないという真面目な部分が伺えなくもありません。
何度も浪人をして、本を読むようになったのは大学に入ってから。しかし、そこまでの幼少期に後につながる多くの経験をしており、それを鮮明に覚えていたことが、小説家・遠藤周作の地盤として重要だったのだと感じました。
著者も友人も破天荒で子どもっぽいエピソードに事欠かないのもすごいところです。
それだけ、人と親密になり、自然と観察もしていたのでしょう。
入院中に同じ時期に入院していた吉川英治氏と比べられて、周囲の人から軽く見られたり、その発言や行動を怒られたりしているのを笑わせてもらいながらも、「吉川先生がなんだい。俺は俺だア」という心の叫びに、その通りだよと深く頷きました。
他にも印象に残っている所をいくつかあげると、〈芥川賞の夜〉の祖母の姿にウルッとし、〈人生を包む微笑〉に書かれていることを年と共に段々実感として感じられるようになり、〈兄弟〉のコロコロコミックにありそうなオチに笑わせてもらいました。
そして忘れてはならないのが、著者のキリスト教徒としての側面です。
〈神の働き〉で描かれる、「神が存在するという前に、神でも仏でも、自分の心の中にそういうものが働いているかどうかということが問題です。」という考え方には納得させられました。
色んな面がある遠藤周作を一冊で俯瞰できるため、狐狸庵先生の入門書としても良さそうな、満足度の高い一冊でした。