※事件の真相などは記載していませんが、少し本編のネタバレを記載しています※
『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』の日本三大奇書にプラスして、日本四大奇書と言われる際に追加される本書『匣の中の失楽』。
夢水清志郎の某作品など、様々な作品で名前を知っていながら読む機会がなかったのですが、入院中と言う果てしない時間を利用して読了しました。
面白かったとも言えるし、作品内でスッキリさせてくれる訳ではないため、モヤっとしてるとも言える、そんな読後感となっていました。
一読、奇書と言われているのも、新本格推理の流れで話されるのも納得の内容でした。
なぜだか80~90年代位の作品だと思っていたので、1978年に出版されていた事もビックリしました。
基本的には奇数章と偶数章の世界が入れ子構造で展開されていき、それぞれの世界において、もう一方の世界はナイルズが書いている小説の世界と言う事になっています。
奇数章の方が不可思議ながらも実際にありそうな事件、偶数章の方が展開そのものも不可思議な事件が描かれていたと思います。
面白いほど人工的な本格ミステリー的世界観で構成され、しかし本格ミステリー的な推理を信用していないかのような展開が続きます。
人工性の極致としては、現実の事件を推理するという建前の中に、ルールとして十戒を課すところでしょう。
これにより、各々の推理の枠が固定されることになり、〈小説〉という枠組みでの推理を保証する形となります。
奇数章で第一の被害者となる曳間が偶数章で活躍したり、甲斐の性格が奇数章と偶数章で違ったりなど、キャラクター描写の面でも違いがあります。
そんなキャラクターの中でも、個人的に重要だと思ったのは、奇数章でも偶数章でも殆ど出番の無い真沼と、性格も扱いもトリッキーな影山だと思いました。
真沼に至っては奇数章では推理合戦を抜けて以来行方不明のままで、最終的にペンネームで応募した詩が入選したかのような描写になっていますが確定していず、偶数章では殺されたのかどうかすら分からないまま、作中作として宙ぶらりんで終わっています。
影山も、その登場自体があまりにも物語としてのタイミングを読んでおり、偶数章ではこれまた謎の消失をしたまま宙ぶらりんで終わります。
残念ながら、自分の頭ではここから良い考察を捻り出せなかったのですが、ここまで人工的な作品で、これらが考えもなく配置されているとは考えられないため、同じく物語上の意味として噛み砕けなかった杏子が夜中に呼び出された場面や、杏子とナイルズの性的関係の暗示などと一緒に、記録として残しておき、いつか再読する時に考えてみたいです。
作中では徹底的に誰かの推理は、その後に出てくる事実によって否定され、新たな推理が生まれるという状況が描かれているため、一見最後の方にあり納得度の高い真相についても、絶対解とはならないでしょう。
これは、作中ルールに沿った推理に必要なデータが完全に揃うことなど有り得ないのではとの問いかけを含んでおり、同時にゲームとしての閉じられた謎解きの面白さがどこにあるかを表していました。
そもそも、作中では人の手ではどうしようも出来ない運命について執拗に語られているのですから。
奇数章と偶数章のどちらが現実か、ではなく全てが創作である。自分はそう思いました。そしてそれは、不連続線を超えて、それを読む読者の世界もまた、別の世界からみた人工物であるかもしれない。
読者は、曳間により深い霧の中に引き込まれ、ナイルズにより深い霧から抜け出ることが出来なくなるのです。
入院中という、非現実的な状況で読んだことも、自分の中では良かったなと思える読書でした。