唐代の都城の構造やその中枢部がどのように形成され、機能していたのかについて深く掘り下げられていることに感銘を受けました。
城倉正祥さんの研究は、考古学的な視点から唐代の都市計画や政治的中心地の成り立ちを明らかにし、当時の社会構造や文化がどのように反映されていたのかがよく理解できました。
遺跡や出土品を通じて、当時の生活や都市の設計がどれほど精緻であったかを知ることができ、歴史の深さに触れることができた一冊でした。
本書では、唐王朝(618-907)が造営した都城を「唐代都城」と定義し、その歴史的意義を考古学的に追及することを目的とした。唐王朝が造営した長安城(京師)・洛陽城(陪京)は、同時代の東アジア諸国に大きな影響を与えたが、その歴史性を考究するには、広い視野で唐代都城を相対化する作業が不可欠である。そのため、唐長安城・洛陽城を中国都城の通時的発展史の中に位置付ける(第1章)とともに、同時代の地方都市との比較(第2章)、東アジア周辺国の都城との比較(第3・4章)を試みた。
その成果は、以下の通りである。
第1章では、秦〜清までの都城の変遷・発展の中で、唐長安城・洛陽城を位置付けた。唐王朝の造営した都城は、7世紀中葉〜 8世紀中葉にかけて国際的に高い影響力を保持していたが、国内において後世の都城に強い影響を与えたのは、北宋東京開封城で成立した新しい様式だった。
第2章では、唐の安西四鎮の1つである砕葉城を分析対象とし、西域シルクロード都市の特徴を明らかにした。唐の国内においては、皇帝権力の中枢である京師・陪京を頂点とし、東では揚州城などの海港型、西では砕葉城など内陸型の交易商業都市が、それぞれ異なる機能と構造を持って展開した点を論じた。
第3章では正門、第4章では正殿の遺構に注目し、唐王朝が造営した都城と渤海・日本などの周辺国が造営した都城との国際的な比較を行った。分析によって、唐王朝の国家的儀礼の舞台であった宮城正門、正殿の構造が周辺国に強い影響を与えた点が明らかになった。これは、唐皇帝の主催する国家的儀礼に各国使節が参加することで得た情報に基づき、その舞台空間が模倣対象となった点を示唆している。特に、唐帝国の国内支配や国際秩序が1年に1度更新される儀礼、すなわち「元会」の舞台が主要な模倣対象となり、各国の支配体制に合致する形でその空間が二次的に再現された点が重要である。本書では、この現象を「儀礼(空間)の連鎖」と呼称した。外交使節を通じて取得した情報に基づく各国独自の選択的な模倣こそが、東アジアにおける都城の伝播の実態だと考える。
以上の分析を通じて、唐代都城の歴史性を考究した。発掘された遺構の考古学的な分析に基づく東アジア都城の研究は、文献史学・建築史学などの隣接分野とは異なる角度から、都城の歴史性を浮かび上がらせる作業に他ならない。
唐代の都城の構造やその中枢部がどのように形成され、機能していたのかについて深く掘り下げられていることに感銘を受けました。
城倉正祥さんの研究は、考古学的な視点から唐代の都市計画や政治的中心地の成り立ちを明らかにし、当時の社会構造や文化がどのように反映されていたのかがよく理解できました。
遺跡や出土品を通じて、当時の生活や都市の設計がどれほど精緻であったかを知ることができ、歴史の深さに触れることができた一冊でした。