S.A.キェルケゴールの『死に至る病』(斎藤信治訳)は、人間の「絶望」という精神的病をテーマに、信仰と自己の在り方を深く掘り下げた実存哲学の代表的著作である。著者は、死に至る病とは肉体の死ではなく、「自分自身であろうとしない絶望」であると定義し、人間の根源的苦悩を鋭く分析している。斎藤信治による訳文は、原典の重厚な思想を読みやすく伝え、読者に自己理解と信仰、存在の意味を問い直させる。人生の苦悩と希望を哲学的に見つめるための永遠の名著である。
序
緒 論
第一編 死に至る病とは絶望のことである。
一 絶望が死に至る病であるということ。
A、絶望は精神におけるすなわち自己における病であり、そこでそこに三様の場合が考えられうる。──絶望して、自己をもっていることを意識していない場合(非本来的な絶望)。絶望して、自己自身であろうと欲しない場合。絶望して、自己自身であろうと欲する場合。
B、絶望の可能性と現実性。
C、絶望は「死に至る病」である。
二 この病(絶望)の普遍性。
三 この病(絶望)の諸形態。
A、絶望が意識されているかいないかという点を問題とせずに考察せられた場合の絶望。したがってここでは綜合の諸契機のみが問題となる。
a、有限性と無限性との規定のもとに見られたる絶望。
α、無限性の絶望は有限性の欠乏に存する。
β、有限性の絶望は無限性の欠乏に存する。
b、可能性と必然性の規定のもとに見られたる絶望。
α、可能性の絶望は必然性の欠乏に存する。
β、必然性の絶望は可能性の欠乏に存する。
B、意識という規定のもとに見られたる絶望。
a、自分が絶望の状態にあることを知らないでいる絶望。換言すれば自分が自己というものを、しかも永遠的な自己というものを、もっているということに関する絶望的な無知。
b、自分が絶望の状態にあることを知っている絶望。それでここではひとは自分が自己(したがってまた或る永遠的なるもの)をもっていることを意識している、そして絶望して自己自身であろうと欲しないか絶望して自己自身であろうと欲するかのいずれかである。
α、絶望して自己自身であろうと欲しない場合──弱さの絶望。
1、地上的なるものないし地上的なる或る物に関する絶望。
2、永遠的なるものについての絶望ないしは自己自身に関する絶望。
β、絶望して自己自身であろうと欲する絶望──強情。
第二編 絶望は罪である。
A、絶望は罪である。
第一章 自己意識の諸段階(「神の前に」という規定のもとにおける)。
附論 罪の定義が躓きの可能性を含んでいるということ。躓きに関する一般的考察。
第二章 罪のソクラテス的定義。
第三章 罪は消極性ではなしに積極性であるということ。
Aの附論 けれどもそれでは罪は或る意味では非常に稀なことにならないであろうか?(倫理)
B、罪の継続。
a、自己の罪に関して絶望する罪。
b、罪の宥しについて絶望する罪(躓き)。
c、キリスト教を積極的に廃棄し、それを虚偽なりと説く罪。
解 説
訳 註
すべて見る
新着の本
死霊魔術の容疑者

死霊魔術の容疑者(2)

ゴジラ全決戦図鑑

ミレニアムと私

仮面山荘殺人事件 新装版

超・殺人事件(1)

メインテーマは殺人

ヨルガオ殺人事件 上
すべて見る
30日間で人気のまとめ記事





すべて見る
小説のまとめ記事





すべて見る
おすすめのまとめ記事





すべて見る
漫画のまとめ記事





すべて見る
趣味のまとめ記事




