作家には今しか描けない話がある。
いちばん青臭く恥ずかしい時代を振り返って、大人になった今だからこそある程度客観視して描ける話。
そうすることで初めて見えてくるものがある。
東村アキコは「きせかえゆかちゃん」が大好きで、その後の著作も面白く読んでいたが、彼女の作品はほぼすべて自伝といっていい。
本作はエキセントリックな恩師との思い出を綴った話で、「ひまわりっ!~健一レジェンド~」を読んだ人は「あのキャラのモデルかな?」と思い当たる節が多すぎる。
この漫画を作者の自己憐憫だの後悔ばかりだの言ってるレビュアーもいたが、私はそうは思わない。
自分の家族やアシスタントはおろか、不倫中の友人すら容赦なくネタにする東村アキコがどうしても語れなかったというのは即ち、それだけ師の存在が彼女の中に大きな割合を占めていたということだ。
尊敬の念以外にも罪悪感や後悔、言葉にできない様々な感情が煮詰まっていたが、出産や育児を経、プロ漫画家として確固たる地位を築いた今だからこそ、「これを描かなければ前へ進めない」「漫画家として生きていけない」と思いきったのだ。
日高先生はおっかないし、ダメな生徒はキツく叱り飛ばして竹刀でしばき倒すが、彼の指導のおかげで今の東村アキコがいる。
そりゃただのフォントに過ぎないツイッターの罵倒より、竹刀でしばかれた痛みと共に叩き込まれた「描け」の一言の方が断然強いよ。
美大生あるあるで、「描きたいものがない」モラトリアムやルサンチマンてんこ盛りだが、自分を美化せず情けないところや狡いところ、見苦しいところを出しきってるので、美大を目指す子や在学中の人にぜひ読んでほしい。
アキコを反面教師にするしないは個人の自由だが、アキコが体験するスランプには絶対共感できるし、もっと言ってしまえば本作は絵描きにとどまらず、普遍的な創作の本質を掘り下げている。
描きたいものがなくても描き続けろ。
描きたいものがないと嘆く暇があるなら目の前のものをひたすら描け。
これは「書く」ことにも「作る」ことにも通じる、クリエイティブの核だ。
日高先生の生き様は、それしかできないからと生半可な気持ちで美大や漫画家をめざすダメ人間の背筋に喝を入れてくれる。

















