仏・バイヤール出版社による、シリーズ「小さな講演会 Les petites conférences」は、2004年から刊行されている哲学・思想系の入門的シリーズとなる。本書(バルバラ・カッサン『ひとつ以上の言語』)は、「小さな講演会」シリーズの一冊として、2019年に刊行された。「なぜ自からの言語(母語)とは別の言語を学ばなければならないのか」が、大きなテーマとなる。
著者カッサンは言う。「ふたつの言語を話すことで、とても深刻な錯覚に陥ることを避けることができる」。ひとつの言語しかない、自分たちが話す言語しかないと想像できなければ、世界は「凄まじい分裂」に陥る。言語は人間そのものでもある。そしてすべてのひとは「母語」を持ち、それが広がっていくことによって、他の言語と交わり、世界が広がっていく。
複数の言語を知ることーーそれは、複数の手段を持ち合わせていることでもある。複数の言語とは複数の世界であり、世界へと開かれる複数の方法でもあるのだ。
たとえば、日本語の「こんにちは」という挨拶の言葉は、ギリシア語では「喜んで、喜びを感じて、楽しんで(khaire)」となる。あるいはフランス語では「よい一日でありますように(bon-jour)」、さらにローマ人は語では「元気でいて/健康でいて(vale)」、ヘブライ語では「平和が君とともにありますように(shalom,sam)」となる。挨拶の言葉一つとっても、言語が違えば、そこに込められる意味が異なってくる。それは、その社会の一端を確かに著すものでもある。
「二つの言語を話し、理解することで、自らの言語が唯一のありうる言語ではないこと、それぞれの言語が、どのような意味の激突や融合を生み出すのかを理解することができる」と、バルバラ・カッサンは言う。「世界」は激しく混合し、雑多で、結合と分離からなっている。だからこそ、言語の多様性を知ることによって、人は人を理解し、うちとけることもできる。
また言語は、たんにコミュニケーションの手段(道具)ではないと、カッサンは強調する。「言語はひとつの文化であり、さまざまな文、異なるリズムからなる世界でもある」。文化こそが言語を決定し、言葉の多様性を広げていくベースとなる。「言語は世界の作者であり、世界の作品であり、世界を発明すること、世界を切り分ける」ができる。
以上のような言語(母語)と世界(人間)をめぐる問題について、子ども向けに、やさしく具体的に、バルバラ・カッサンは語りかける。わが国においては、なかなか「母語」というものを意識する機会はない。そのため、外部(他者)への想像力が貧しくなりがちである。分断が極まりつつある社会で、「ことば」から社会を見る目を、本書を通して養うことができるのではないか。
なぜ自分の言語とは別の言語を学んだり、話したりするのか
母語とは何か 野蛮人と擬音
「言語は誰のものでもない」
翻訳できないもの/翻訳すること
文化こそが言語を決定する
全世界で通用する一つの言語
言語は世界の作者である
ある言語が方言になるとき
「希望と絶望の言語」
「脱領土化」される言語
ハンナ・アーレントにとっての母語・ドイツ語とは
母語はいつまでも母語であり続ける、母が母であり続けるように…
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