メアリ・ウェストマコット名義の第5作目にあたる作品になります。
母子家庭であり、性格が正反対のため共依存的に生きてきた母娘が、第3者が入ってくることによって今までの歪さが表面化し、お互いに傷をつけあいながら膿を出しきり関係性の再構築をするための、全3部にわたる物語です。
40代の母と20歳前後の娘、共に揺らぎの時期にある母娘の揉め事を通して、自分のことも他者のことも理解するのは難しいこと、知らないことを理解した上での干渉が大切なことを描いています。
第一部では、セアラもアンも、ついでにリチャードも、自分が相手のことを思っているのなら、相手からも見返りがあるべきだと思っています。
相手を思ってしたことには当然称賛がなくてはいけない。相手の幸せは自分が決めるけど、自分が幸せに思うことは一緒に喜んでくれないといけない。
全ては傲慢な気持ちでしかありませんが、「相手のためだから」という気持ちが壁となっているうちは気づくことが出来ません。
相手に対して話す内容を自分に当てはめられないために、言葉と行動が矛盾していることにも気づくことができません。
そして、破綻が訪れ物語は2年後へ向かいます。
第二部では、お互い極端に干渉を避け現実逃避に勤しむアンとセアラが描かれます。
セアラは、堕落した快楽に流れそうな直前に踏みとどまれるチャンスがありましたが、今の自分の行いと同じように2年前のことを直視してこなかったために、そのチャンスを得ることができませんでした。
アンもセアラも、押し付けがましい自己犠牲の虜になっていたのです。
結局、捻れた関係は更に1年後に本音をぶつけ合うことで、それぞれが内省をするための下地を作ることが出来ました。
ここで良かったのは、本音をぶつけ合うことが、そのまま解決に行かなかったことです。
この時点ではバッドエンドもありうるなかで、それぞれの内省と、内省に伴う行動があったことで、新たな距離感での関係性を再構築できたのだと思います。
そんな作品中で冷静に観察をしているデイム・ローラとイーディス。
厳しいことを言いながらも、常にアンとセアラに寄り添う姿があったことで、読者としても安心してページを繰ることが出来ました。
ローラとイーディス程ではないですが、ジェリーも重要な人物です。
まだ若い事もあり欠点も目立つジェリーですが、人として大切な部分は持っています。
特に外国で苦労をしたことで良い部分が鍛えられました。
それでも足りない部分はありますが、今後はセアラとお互いに補いあってくれると思います。
自分で驚いたことに、終盤で3か所ほど涙が場面がありました。
始まりが戯曲だったからか、メアリ・ウェストマコット作品でも物語によるリーダビリティが高めの作品であり、その中に自分も意識しておきたい言葉が随所にちりばめられている傑作です。